『共感という病』が教えてくれたこと
「共感されること」が正しいとされる空気の中で、なぜ“共感されない側”を支援し続けるのか。
『共感という病』を読んだことで見えてきた、自分の特性と、誰でもスマホを続ける理由。共感疲れ、自己責任論、キラキラした社会への劣等感。復活した『スーパークレイジーソーシャルベンチャー』で、今感じていることを率直に語ります。
『共感という病』を読んで
2ヶ月ぐらい休んでいた番組ですが、復活することになりました。
やっていない間に、意外と社員のみんなが聞いていたことも分かりました。
やっぱり、会社向きに吹き込むということも大事だなと思ったので、
それも含めてまたやっていこうかなと思います。
この2ヶ月の間に、私なりに結構大事な気づきがありました。
最近読んだ本があって、その本から改めて自分も気づかされたっていう話です。
『共感という病』という本を読みました。
私が好きで聞いているポッドキャストの人がこの本を読んだと知ったんです。
共感がすごく強い絆とか、ラグビーのワンチームとか、
オリンピック・パラリンピックの団結とか…
すごく共感をいい風に使っているけれど、
うさん臭さとか、共感疲れとか、
ちょっと行きすぎた共感みたいなものもある。
さらに言うと、共感とかつながりというものが強くなるほど、
共感できない人、つながれない人が、
逆に分断されたり排除されたりすることもある。
その話にすごく興味があって読んだんです。
共感されない人を支援する意味
この本の作者の永井さんという方は、
紛争地域に行き、テロリストと会話をして、
テロリストを更生させていくっていうことをやってるすさまじい人です。
テロリストやってる人自体には、共感しにくいじゃないですか。
テロをされる側からしたら「なんでテロなんてやるんだよ」みたいに思う。
テロリストという全く共感されない側の立場の人と向き合っている方が、
『共感という病』という本を書いていてすごく面白かったんですよね。
なんでテロリストのような、なかなか共感されない人の支援をしているのか。
どちらかというと、
テロリストにやられてしまったご両親を持つ行き場のない女の子の方が、
何万倍も共感されるじゃないですか。
かわいそう、大変そうって。
なのに、なんで共感されない方に向き合うのかって考えると、
「意義のある活動って何か」っていう話が始まってくるんですよ。
「意義のある活動」っていうのは、
同じ命なんだけれども、
共感される方は助かるし、共感されない方は助からない。
同じ人権なんだけども、片方が助からない時に、
誰も助ける人がいない場所に自分が介在することに意味があるよねと。
他の人がやらないから。
この話が自分の中で言語化できていなかった何かが、言語化された感覚でした。
共感が苦手だからこそできること
私がやっていることも、ほとんど全く同じなんですよね。
困窮問題における困窮者、経済的に困っているおじさんたちは、
やっぱり共感されないんですよ。
なぜならば、日本には「自己責任論」があるからです。
「それは自分が招いた結果でしょ」と。
もちろん、そういう部分がある人もいると思いますけど、
家庭環境の話とかそうじゃない人もいっぱいいる。
調べれば調べるほど、
「自己責任だけで片付ける話なんて」ってなるんですけど、
まず普通は、そこまで深く知ろうとしないんですよ。
私は仕事だからいろいろ勉強しましたけど、
多分普通に生活していたら、貧困について深く勉強しません。
そうすると、自己責任という浅いところで終わってしまう。
私も根っこは「人と違うことをしたい」ってずっと生きてきているわけですよ。
小学校、中学校、高校とずっと人生のテーマの中に、
「人と同じは嫌だ」「人と違うことをしていたい」っていうのがある中で、
それは「共感されない何か」っていうのとすごい似てるというか…
私は「共感」という言葉が苦手なんですよ。
よく共感性が低いと言われるんで、
「共感」という言葉に対して苦手意識がある。
昔から別に、共感というものに感度が高かったわけでもないし、
どちらかというとゴーイングマイウェイで、
自分が行きたいように生きるって感じだった。
共感というキーワードが得意じゃないからこそ、
「共感されない側に立つことが私はできるな」と思いましたね。
私の特性と今やっていることは、ハマっている。
同じ人権なのに、助けてくれる人がいないからこそやる意味があるよねって。
その言葉を永井さんが言語化してくれたことで、
自分の中ですごく腑に落ちたんですよ。
だから、このまま一生懸命やったらいいなって思ったし、
自分が何でこの活動をしてるのかってところを言語化できました。
共感される課題と、されない課題
世の中には、共感を集めやすい社会課題がたくさんあります。
生き物で言うと、
かわいらしい子犬は「かわいそう」「助けたい」という感情が自然に集まり、
助ける人もいっぱい集まるから実際に助かってますよねと。
でも、共感されない課題もある。
例えば、おじさん。
生き物で言ったら、黒くて大きい犬とか、猫。
そういう子たちはなかなか引き取り手が見つからず、殺処分になりやすい。
同じ命でも、共感されるかどうかで、
助かるか助からないかが変わってしまうっていうのを改めて思ったし、
私はやっぱり、共感されない側を助けていかなきゃいけないんだなと思いました。
例えば、地球環境の話とか、食料不足の話、地方創生とかも
わりと共感を集めやすいと思ってるんですよ。
環境問題なら、「ゴミが少ない方がいい」「温暖化は良くない」とか、
自分ごと化しやすいじゃないですか。
食料不足も「このまま人口が増えたらどうなるんだろう」と、
自分の生活に置き換えやすい。
地方創生もそうです。
地方に人がいなくなれば、最終的には都市も維持できなくなる。
地方で人が生まれて、都市に人が集まっているわけだから、
地方が弱れば、最終的には都市も弱る。
って地方創生やってる仲間から聞きました。
自分ごと化しやすいことは人気があるし、プレイヤーもいっぱいいる。
でも私がやっているような、経済的に困っている人の問題は、
やっぱり自己責任論が強いし、共感も呼びにくいですよね。
だから、助ける人が少ないみたいな。
でも、自分自身も昔かなり大変だったし、
共感っていうものに対して苦手意識があったりとか、
そういったものの積み重ねの中で、今の仕事をやっているんだなと気が付きました。
共感に疲れている人もいる
共感されることが正しい。
みんなでつながることがいいこと。
最近は、そういう空気がすごく強い気がしています。
もちろん、それ自体は悪いことじゃないと思います。
でも共感に疲れている人って、実は結構多いんじゃないかなと思っていて。
別にみんながみんな自分に共感されたいわけでもなく、
「共感」という言葉が私みたいに完全に好きになれないみたいな人も
いるかなって思っていて。
だからそういう人たちの旗印としてアーラリンクとか、
アーラリンクの活動があるっていうのは結構いいなと思ったんですよね。
キラキラした世界への劣等感
安易に共感されることとか、
キラキラしてるっていうものに対して、
人が集まるのは当たり前なんですけど、
そこになんかすごい劣等感があるんですよ。
なんか羨ましいっていうのとなんかちょっと劣等感っていうか…
地方創生をやっている仲間とか、イケイケのマーケ会社とか、
キラキラしたビジネスをやっている人たちは、採用力も強いし人も集まる。
明らかにこう見せつけられてて「ちきしょう、悔しいな」と思うんです。
「絶対に負けない」「数字と規模でぶっ倒す」
心の中では、もっと汚い言葉で思ってますけど(笑)
でも、それぐらいの気持ちでやっています。
劣等感をバネにして、ここまで来た感じはありますね。
共感ではなく、理性でやる
この本の中で、
永井さんが「なぜテロリスト支援を続けられるんですか」
と聞かれた時の話もすごく印象的でした。
「共感をエネルギーにしてるんですか?」と聞かれていたんです。
でも永井さんは「別にテロリストに共感しているわけではない」と答えていた。
何をエネルギーにしているのか。
それは「理性」だと。
要は「誰かがやらなきゃいけないことだからやってる」っていう理性。
だから別にその共感っていうエネルギーを無理して燃やす必要もない。
その話を聞いた時、すごく楽になったんですよね。
共感されない場所で、やり続ける
私は、自分の特性として、人と違うことをしたい性格なんだと思います。
意識しているというより、もう性格です。
これはもう別になんかキャラクターみたいな感じですね
みんなが共感しやすいものでキャーキャーしてる中で、
「何が面白いのかな」「よくわかんないな」みたいな、
ノリきれない感じとかはよくあります。
「なんかちょっと人と違うのかしら」とか、
「なんで私はこうノリきれないのかしら」みたいなところに
少しモヤっとする部分が今まであったからこそ、
絆とかワンチームとか、
共感っていうものを必要としない中にいたいっていう気持ちは
ちょっとあるのかもしれないですね。
だから共感されない人たちに対して何かするっていうことに
すごく理性も働くし、ちょっと気持ちが分かる部分もあるんでしょうね。
それが、今の誰でもスマホにもつながっているんだと思います。
「だから自分はこの活動をやってたんだ」っていうことを
言葉にできて良かったですし、その言葉を発信することによって、
私たちがやってることに対する共感も生まれやすくなったんじゃないかなと。
「共感という病がある」っていうことを言葉にした、
永井さんは素晴らしいですよね。
そして、共感されない人たちが排除されてしまってるっていう構造もあると。
「共感しないと私も排除されちゃう」みたいな同調圧力みたいな感じですよね。
そういうものもあって共感っていうものが生きづらさを作っちゃってるよねっていう。
そこにすごく共感したし、
自分がこの活動してるっていうのは、その共感されないお客さんもいて、
その共感されないお客さんに共感してるっていう部分もあるんだろうなっていう
そんな話です。
ということで『スーパークレイジーソーシャルベンチャー』復活編、
第 1 話は共感の話。
「共感という病」
もし興味持った人がいたら読んでみてほしいですね。
僕はすごい気づきがあった。
共感されない仕事をしてる人とかには特に読んでほしいなと思いましたね。
「共感という病」著・永井陽右
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話し手
高橋 翼
株式会社アーラリンク代表取締役社長
2011年早稲田大学社会科学部卒業。通信事業の将来性と貧困救済の必要性を感じ2013年にアーラリンクを創業。

