ヒストリー

Give & Give & Give

SCROLL

こんにちは、
代表の高橋翼です。

これから会社の歴史を紹介しますが、
半分は僕の個人的なエピソードなんですよね。
ちょっと恥ずかしいのですが、
小さな会社がどのように成長していくのかという
リアルな過程も知っていただけたらと思うので、
思い切って公開します。

1997

episode1

落ちたヤツというレッテル。

モテないヤツだったんです。頭が良ければモテるのではないかと勘違いして、中学受験(早稲田)にチャレンジ。自分なりに頑張ったんです。他の取り柄もなかったので必死に。しかし、無残に散りました。結局、みんなとおなじ公立の中学校へ。何が辛いって「落ちたヤツ」というレッテルが辛かった。でも、今思えばそれが次の挑戦へと導いてくれたような気がします。バスケ部に入部し、県大会優勝を目指し打ち込みました。これがすごく楽しかったんです。夢中になるってこんなに楽しいんだと。「仕事をするなら熱をもって打ち込めることを」という現在の仕事観は、この経験が原点なんです。

2000

episode2

高田馬場の憂鬱。

中学受験で落ちた早稲田ですが、なんと高校受験で合格。晴れて憧れの学校に入学できたわけですが、なんと僕は遊びほうけてしまいました。とにかく好き放題遊びました。高校時代にたくさん遊びすぎたからか、大学入学時には周囲の浮かれっぷりを冷めた目で見る大学生になっていました。自由なはずの大学生活が全然楽しくない。そして、気づくんです。遊んでばかりじゃつまらない、夢中になれる何かがほしいということに。アルバイトで営業の仕事を始めたのが大学2年生の時でした。憂鬱な毎日から抜け出したい。心から熱狂できる何かを求めて。

2005

episode3

お金の喜びだけじゃ、
生きていけない。

営業の仕事はめちゃくちゃ面白かったです。複合機などのオフィス機器関連の営業だったのですが、当時は光ファイバーの普及のタイミングで、イケイケの市場。追い風がビュンビュン吹いていました。頑張ったら成果が出る。自分で仕事を動かしているという手応えをビシバシ感じられる。自信もつきました。最初は契約社員だったのですが、「フルコミッションという完全歩合の方法だと儲かるらしい」と聞きつけ、完全歩合の営業をやりはじめました。ノリノリで売れるだろうと思いきや、突然の急ブレーキ。原因は心の中に「俺、お金のためだけに生きてないか?」という疑問と虚無感が広がってしまったこと。今の俺は、死なないためだけに生きているにすぎない。これでいいのか。いや、よくないと。

2011

episode4

24歳、無職の決心。

さて、「本業」であるはずの大学生はというと…営業の仕事に夢中になりすぎて、肝心の学業がおろそかになってしまい、なんと卒業まで7年もかかってしまいました。大学生の身分という現実に舞い戻り、さあ、就職活動!という時、世はザ・就職氷河期。就職くらいはできるだろうと高をくくっていたら、就活も無残に散りました。世間で早稲田大学と言うと、それなりにいい大学だと思われるじゃないですか。それなのに就職できない。情けない気持ちでいっぱいになりました。でも、落ち込んでいても仕方がない。とりあえずその時働いていた仕事先でそのまま働き続けようと思ったんですね。そんな矢先の3月11日、東日本大震災。状況が変わり、おなじ職場で働き続けることもできなくなってしまった。困り果てた先の結論が、起業。24歳の時でした。

2012

episode6

積み重ねられる仕事。

大学時代から含めると営業を6〜7年やってみて、気づいたことがある。それは、新規営業というのはなかなか大変だということです。毎月カレンダーがめくられると積み上げてきた数字がリセットされる。またゼロから売上を作っていかなきゃいけない。一度契約して納品すると関係性が薄くなってしまうことにも寂しさを覚えました。「月額料金をもらってやっていくようなビジネスがいいなぁ」とぼんやり思い始めた矢先、当時のお客様から携帯電話レンタルの事業の話を聞く。月額で携帯電話を貸しているという。ちょっとうさんくさいけど、やってみようと始めてみました。といっても、ネットの広告など集客にお金を使わないとお客様が集まらない。コールセンターで夜勤のバイトをして広告代を捻出しました。昼も夜も働きづめの生活でした。ようやくある程度のお客様のリストも増えてきて、バイトもやめることができたのが半年後。今の事業の雛形がここにあります。

2013

episode6

正義ってなんだ?

当初は苦労した携帯レンタル事業ですが、軌道にのりはじめ、収益化。そんな矢先、あることに気づきます。当時、振り込め詐欺の増加が社会問題として大きく取り上げられていた頃。「うちの携帯電話が悪用されているかもしれない…」という不安がよぎったのです。当時はレンタルに関するルールや規定も今ほど厚く設けていなかったが、どれだけ儲かろうと、犯罪につながるようなあやしい仕事はやりたくありませんでした。そこから身分証の提示や、レンタル可能な回線数の制限など、悪用されないためのルールづくりに力を入れ始めました。しかしながら一方で、料金の滞納で大手キャリアのブラックリストに載ってしまったことで、携帯を借りられなくなってしまい、連絡先がないため就職もできず社会復帰できずにいる人たちの存在も知りました。誠実に生きようとしている人たちのチャンスまで奪ってはいけない。無慈悲に切り捨てるルールではなく、善良な方々に対しては救いの手を差し伸べられるようなルールにしよう。社会的意義というと大げさかもしれませんが、「何のための会社なのか」という考え方が自分の中で生まれたのはまさにこの頃でした。

2014

episode7

六人目の壁。

悪用されないためのルールづくりを強化した後も、売上は順調に伸びました。一つの起爆剤になったのが、新しく投入した「かけ放題サービス」です。他とおなじことをやっていてもお客様は増えない。何かお客様がほしいもの、メリットのあるものをと考えて、このサービスをはじめたのですが、当時は他の会社にはない画期的なものでした。お客様が一気に数百人単位で増加。さすがに一人じゃ回せない。アルバイトスタッフを雇ったり、正社員になってもらったりしながら、人員を増強していました。そんな矢先にまた問題が。なぜか六人目が必ず辞めてしまうのです。当時、顧客管理などの管理系書類はほぼExcelを使って管理していました。便利なシステムを導入する前だったので、人手だけでなんとかしようとアナログで頑張っていた時代です。「こんなんじゃついていけないよ…」と思われてしまったのかもしれません。なんとかせねばと動きはじめました。

2018

episode8

まだ見ぬ景色の先へ。

2016年、顧客リストや業務のデータベース化をはじめとする、業務の標準化を推進。組織で仕事をするという意識が芽生え、働く環境の改善にも着手しました。個人だけでなく、法人へのレンタルをはじめたのも2016年。「ウチの携帯がテレビや映画で使用されるとテンションが上がっちゃうね」、なんてことを経験し始めたのもこの頃です。貧困層の社会復帰支援のために、国や自治体から声がかかることも増えてきて、仕事の幅も広がりました。6人目どころか7人目も8人目も辞めなくなった。嬉しいことばかりの一方で不安も少し。昔ながらの「熱さ」が感じられなくなった気がしたのです。アーラリンクらしさを、原点を、忘れられないようにとどめておきたい。そこで、経営理念を定めました。新卒採用もはじめました。これは大きな転機です。たぶんこれからも、僕たちは壁にぶつかります。たくさん転びます。それでもまた這い上がって、みんなで突き進んでいきたいと思います。僕らがまだ見ぬ、新しい景色を求めて。

2020

episode9

激動する社会。

新卒社員も増え、大阪支社も設立し、事業が軌道に乗り始めた2020年。世界を揺るがす未曾有の事態が起こりました。そう、新型コロナウィルスの世界的な大流行です。経済にも大きな影響を与え、倒産する会社や失業者が続出。幸いにもアーラリンクは勢いを落とすことなく業績を維持することができました。しかし、激動する社会を目の当たりにして、ある焦りを感じ始めたのです。「社会が大きく変化しつつある今、受け身な組織は置いて行かれていくに違いない。アーラリンクは変わらなければいけない」と。そして、会社のミッション/ビジョン/バリューを刷新しました。それぞれの社員が自ら考えて働くために、組織の中核となる言葉を新しくする必要があると思ったからです。安定に慢心しない。常に前に進み続けること。これまでずっとアーラリンクが大事にしてきた考えです。